2009年1月23日金曜日

5年後への課題

(はじめに)

「ネットワークメディアアートとは何か、自分なりに定義しなさい。」

当講義名、カタカナが多くしかも長く、見ただけでは何をやっているのかよくわからないという印象があるのではないか。学外の人に自分の所属を「システムデザイン学部」とか「インダストリアルアートコース」と言った時と同じ反応のような。
これをそのまま課題とするわけではないが、別にインターネットや先端技術ばかりに関連性を求めた課題である必要はない気がする。インターネットも「ネットワーク」には違いないが、人と人の対面関係も「ネットワーク」であるはず。
課題の捉え方として「ネットワークって?」、「メディアアートって?」と思える側面があるものであってほしい。それがメインでも良いし、それがメインではなく課題を制作する中でそういう考えが浮かぶようなものでも(今までの課題もそう想定されていたのやもしれませんが)。

条件「5年後の」が曲者だが、そういう点ではあまり気にせず考えても良いだろう。私にはものすごい技術革新を想像するほどの想像力はないし、仮に期待したとしてもそれほどの革新が起こるかというと。5年後でも、寝ないで作業をしていれば疲れるだろうし、朝の電車は混んでいるだろうし。また技術がいくら発展しても、それに乗らないという選択肢も重要ではないか。
という姿勢で課題を考える。


(2009年時点での発想)

案1 「無関係→関係」・「関係→無関係」
youtubeに「MAD」とか「吹き替え」というものがアップされている。元の映像Aと元の音声aを分割し、映像Aに別の音声bをつけるといったものである。映像AもAのままではなく、編集されていたり。
このとき、映像と音楽には本来まったく関係がない。しかしその二つをつなげることによって、新しい価値が生み出される。しかもうっかり面白かったりする。
そういうことこそが、ネットワーク(ここではひとまず「つながりの線」とでも定義しようか)なのではないか。カメラと携帯を(物理的に)つなげたら新しいメールのやり取りができるようになったり、錦鯉と携帯を(テクスチャの面で)つなげたらデザインケータイになったり、みたいな前例を踏まえつつ考える。

ということで、一見関係がないと思われるもの同士の接続をする、「無関係の関係化」を課題に。(そのとき、もの同士の関係の度合をどう考えるかが重要になる)
ただし、これだけだと範囲が広すぎる・プロダクトデザインでもできそうな感があるので、その逆「関係の無関係化」とセットにする。

「関係の無関係化」は題材を「Eメールと対話」と指定。AさんとBさんが交わしたメールの文面を台本に起こして、実際のAさんBさんはその台本で会話をする。メールでの言葉と対面での言葉の違いから、問題が浮上するのではないか。言わばMADの逆で、Aさんの言葉aをAさんが、とBさんの言葉bをBさんが喋るという極めて普通なことが普通でなくなる、という体験を目指す。


案2 日記の時制を行き来する
こちらのブログは後期にあまり使わなかったために、今回の記事を書くにあたって、まず前期の記事を見ることから始まった(試験勉強をしようとすると部屋の片づけをしたくなるのと同じ理屈)。
自分で考えた内容である以上、面白いと思えるものもあるが、半年前の自分の考えは浅いと感じる方が強い。同じ自分だというのに、別モノのように感じてしまう。現在の自分と、半年前の別モノの自分がブログ記事によってつながる。多少嫌な感じで。
ブログが現れる前から、こういうことは写真や文集などによって起こっていた。それらは狭い範囲(学校・学年単位など)でしか所有されないが、ブログは違う。書き換えが可能という点でも。

ブログ記事は、考えが大きく変わった後でも、書いたときのまま保存・公開し続けなければいけないだろうか。確かに回顧も必要な体験であるし、今の考えは前の考えの上に成り立っているものだが。

以上の問題を踏まえ「ブログと時間」の新しい関係の形を提案せよ。という課題。



あとは、一日限りでも首都大と豊田駅を有線LANでつなぐ(LANケーブルをルーターで何回も延長、分岐させていく)とか。「つながり」を見える形に、またネット時代らしからぬ泥臭さの下に実践してほしい。

マッピング案

GoogleGroupに上げたものの再掲。補足つき。

***

どうしてもGoogleEarthやSecondLifeの意義を感じられない。
便利は便利としても、使わなければいけないものでもない。それを使うために時間を使っているのか、時間を使うためにそれを使っているのか。
情報を集めて表示するというマッピングの性質から、博物館展示との類似を見た。言わばGoogleEarthというウェブ上の博物館に収集された情報資料。世界中からアクセス、共有できる博物館。展示によって情報に新しい価値を生み出す場所。
以上のようなGoogleEarthの解釈から、マッピング案を三つ。


(案1)水面マッピング


↑マッピング以前の地球。


↑河川の水面を撮影した画像をマッピングしていく。水の透明度が低い(=水が汚れている)ほど、表示面積は大きくなる。


↑画像が集まっていくと日本全体を水が覆う。


(案2)地球の再認識


↑どこでもネットワークがつながる環境においては、地域特性がなくなる。情報を地球中に貼り付けていくことで、地球は地球でない何モノかになる。水面マッピングも同様(水面を貼り付ける→日本が沈没したかのように見える)。
赤い斑点(上の例では水玉模様を主題とするあのアーティストを意識)である必要はなく、様々な題材が考えられうる。半分地球で半分月、など。
地球は球体、ということをも疑う視点を目指す。またコラボレーション、ワークショップの形でのGoogleEarthの活用を検討。


(案3)佐藤vs鈴木マッピング



↑各市町村における「佐藤」姓、「鈴木」姓の世帯数を比べ、多い方の姓を表示する。佐藤と鈴木の国盗ゲーム的なマッピング。一番多い姓が佐藤か鈴木以外の時は空白になる。


↑ズームすると、全国規模での佐藤と鈴木の勢力図がわかる。(これらの分布は全てイメージ)

戦争はメディアを通じ、どこからでも報道される。しかしそれはイメージでしかない。
佐藤と鈴木、「多い姓」という漠然たるイメージが勝手に戦争を始めるマッピング。終わりなき不毛な戦いの記録。
実在しない事件の展示。

cf.讃岐醤油画資料館