2008年7月18日金曜日

課題・i-work

(はじめに)
テーマは「現実世界のworkをSecondLife上にトランスレートする」。本講義の最終課題ということで、今までの課題などのことも絡めていければと。

さて本題に移ろう。はじめに、SecondLife上にトランスレートしたいworkのテーマは「不便さ」である。本論は現在のネットワーク環境の「便利さ」を指摘し、そこから「不便さ」へと回帰すべき必然を指摘する。更に向かう先はコミュニケーションの問題である。ネットワークとは単なる通信網のことではない。それは人と人とのつながりをも意味するのだ。


(問題の整理・講義の経緯)
これまで、
・GoogleEarth(Maps)
・YouTube
・ViZiMo
・SecondLife
などのプラットフォームを使ってきたわけだが、使ってまず感じたのは「便利」ということである。たとえば路線検索一つをとっても、Googleのサービスは有料のソフトウェアに勝るものがある。
だが、便利とばかり安心していれようか。

たとえば、電気が途絶えたら。
ネット依存という言葉はあまり使いたくないが、これ以上便利にする必要があるのだろうか。それを考えた時、ViZiMoに触れることとなる。
操作上の不便さはあるが、無料のプラットフォームでこれだけのことができると思うと衝撃的であった。と同時に「実用」を意識していないと思った。

「技術→必需品に還元」
と思えたのがGoogleの一連のサービスで、対しViZiMoは

「技術→嗜好品に還元」
という印象だった。「これ以上便利にする必要があるのだろうか」という先の言葉を訂正しよう。「技術自体は進展していってほしいし、自然にそうなるだろう。ただ、それがどこに向くかが問題である。生活必需品に利用されるような便利さの必要性は感じない」と改めて思う。

ちなみに、初期の課題「GoogleMapsにほしい機能」で提案した『侵食地図』の時から何となしにこう思っていたようだ。『侵食地図』は表向き「便利」な装いであるが、主目的は「個人的な楽しみ」にある。それは「なくてもどうにかなる」ものである。
私は、これからの技術革新はそのようにシフトしていくのではと思っている。かつて銀行などで使われはじめた「便利」な技術としてのタッチパネルが、近頃では任天堂のゲーム機に利用されて人気を博しているという事実はそれを端的に示していると思える。

ViZiMoに触れた感覚としては、Googleはいまや必需品であるが、ViZiMoはそうでもないということだ。それは必要がないということでなく、「使いたいときに使える」ということである。安心感のあるものと言い換えてもよいだろう。


今回の課題では同様に、「したい時にする」感覚のworkを考えていきたい。


(i-miraikan体験)
前回の合同ワークショップでの話である。チームメンバーの一人が信条により携帯電話を所持しない人だったので、待ち合わせる際に少し苦労した覚えがある。
しかし、十数年前まではそれがスタンダードだった。「昔の人はどう待ち合わせをしていたのか」という話が出てきたほどであるが、今は便利すぎて余裕がないのではないかと思った(佐藤が悠長すぎるだけだろうか)。メールの返信が遅いことでイライラするとか。

ここで感じたのは、便利さを求めてそれが実現されても、結局また次の便利さを求めなければならないということ。SDカードなどどこまで小さくなることかと思う。しかし小さくしたところで紛失しやすいという問題も出てくる。
ある程度の不便を残しておけば、社会(というと大げさだが)は安定する気がする。
下北沢で「伝言板」的なものができ、人気なのもおそらくそこに理由があるのではないか。また似たようなwebサービスにTwitterがある。伝言板にしてもTwitterにしても、何か便利さを求めた上での成果物ではない。ある意味での「不便さ」が「楽しみ」につながるのではないか。


(問題のまとめ)
前二つの章より、「したい時にできて、不便を備えている」workをトランスレートするという流れに決定。

また、SecondLifeの特性を以下のように考えてみる。
1・飛行可能
2・容姿の変更が可能(服飾デザイナーなど、それを外部に委託する場合あり)
3・場所の移動が容易(検索機能が「便利」である)
4・ものをつくるためにお金が必要(このあたり「不便さ」につなげられそう。だが今回は処理しきれない問題のため保留)

着眼点としては、「3」をいかに不便にしていくかだろうか。


(具体的提案)
1・手渡し郵便配達員
検索で一気に目的地まで飛ぶ、をなくし、目的地まで歩く(または自転車などに乗る、自分の力で飛ぶ)。
歩く目的として、e-mailを届けるということを設定。

(手順)
1・送る側は「ちゃんと届くだろうか」と心配しながらメールをポストに入れる。
2・ポストに入れられたメールを、配達員が宛先まで向かう。
3・送られた側に到着。「手紙が来た」という驚き、感動がある。配達員とのコミュニケーションが生まれる。

(特徴)
メールは本来実体のない電子的なものだが、SecondLife上なら手紙の形を持たせられる。特別な用でのメールは装飾があるなどの演出が可能。
急ぎの用のメールが遅れた、ということのないように、指定日時までに到着しなかったら即送信されるなどの配慮が必要。
配達員は登録制。好きな時に出ればよい。もし一人も在中していなかったら自動的に即送信される。
cf.ポストペット

(また、この提案は他所での自分の提案(実現せず)を借りている。現実世界で行おうとしたものだが、SecondLife上の方がしっくりくると思ったため、再利用したことを述べておく)


↑空を飛んで届けにいくイメージ

2・床屋
容姿変更(ヘアスタイル)を自分でするのではなく、他人にやってもらう。
ただし、美容院ではなくあくまで「床屋」。

(手順)
1・客、指定されたメニューからヘアスタイルを選択。
2・主人、ヘアスタイルを変えていく。この際に結構時間がかかる。客に話しかける。
3・話している間、しくじることがある。

(特徴)
命令したことを正確に返してくるコンピューターの裏をかく。
また、主人と客のコミュニケーションを重視する。床屋とは元々そういう場所である。
自営業のため、自分の都合でよく休む。
これの類型で、「クセのある店主のラーメン屋」などあってもよい。



客「……」(画像に映っている方)
店主「ごめん、ついうっかり短くしすぎちまった」

(期待される効果、危惧される問題など)
不便さから生まれえる「楽しさ」については先から述べているとおりである。「特徴」のところで書いているような「コミュニケーション」効果も期待している。
どちらも不便さを顕在化させることによる提案なので、そのまま「不便」なだけと捉えられてしまう危険性が大である。SecondLife利用者が何を求めそれを利用しているのか、という点での調査が必要となるだろう。淀みない完璧な空間(など存在しえないと思うが)を求めている人が多ければ断念せざるをえないか。コミュニケーションをとりたくない人もいないわけではなさそうだ。その点では、郵便配達のような突然巻き込まれる可能性のあるものよりも、床屋のような任意参加性の方がやりやすいかと思われる。

あと賃金についてだが、目安がわからないためにまったく触れていない。「やりたい時に」ということを重視すれば、ボランティア活動のようなものでもよいかもしれない。SecondLife上でボランティア活動が行われているか、いかに金を得るかという情報が必要である。

(おわりに)
最初に書いたとおり、最終課題ということで、今までの課題を思い返して/見直してみた。そこで思うことは、どれもテーマが似ている気がすることである。一貫した軸と言えば軸なのだろうが、たまにはぶれてみることも必要である。
と書くと、いつも正統派のことばかりやってきたように見えてしまうので訂正しておこう。やっていることは常にルール違反スレスレのものや、変人じみたテーマばかりであった(自分の中では論理立てがなされ、ルールは成立しているし、ある種異常なテーマこそ衝撃だと思っているのでまったく問題なし)。i-miraikanについてはまさにルールを大幅に飛び抜けていた。その際は班員の皆さんに非常に迷惑をかけた。

ただ、いわゆる「正統」な感じを目指すよりも、自分の中での「正統」を持つことの方が重要な気がしている。ひとまずそれが完全に否定されるくらいの体験をするまでは。

まとまらないがこのあたりで、終わりとしたい。

2008年7月7日月曜日

課題・合同ワークショップ終了報告レポート

二、三週間に渡るデジタルハリウッド大学との合同ワークショップが終了。


(講評を聞いて)
色々と言われたわけだが、すべてには対応しきれないので特に気になったものについて少しばかり。


・どういう環境で生きてきたらこれが自己成長という発想になるのか(お台場立体映像)

前後関係もなくテキストだけで見ると嫌な感じにしかないが、真摯に受け止めなければならないことだと思った。
自分たちの考えが真っ向から否定された、というよりは伝わらなかった。

自分たちはアート・デザイン系大学の学生の思考を、人間皆共通の思考のように思ってはいないか。他班がつっこまれていたところでもあるが、一般の人とその手の学生の思考は必ずしも一致しない(絵を描こうと一般の人は思わない、というコメント)。むしろ乖離している気さえする。
自分の得意分野は大いにプレゼンに活用すべきだが、のめり込むとどんどん内に向いてしまうように思えた。
他の場面で言及のあった「主観と客観の行き来」が必要なのだと改めて思わされるコメントであった。
特に、お台場地域住民とか子どもとか、自分がそうでない立場に絡んだ提案をする際には非常に重要になってくるところだろう。


・ファンタジーならファンタジーで徹底(現在における実現性ほぼ皆無の一連の提案)

最初に「20XX年」的な近未来設定にしておけば混乱が生じなかっただろうとのこと。まったくそのとおり、というよりは違う感情。
プレゼンでは「現在の技術でいえば~」的なことも言っているし、『まちがいさがし展』は現在での実現性を高める意味での提案でもあるので、自分たちとしては意識せずとも現在での実現を想定していたのだ(お台場立体映像は除く/今にして考えれば非常に無謀、無計画な話である)。
といって、現在の技術で行うことは非常に難しい「ファンタジー」であるということを突き付けられた以上、方向性は変えなければならない。そういう観点では非常に納得のいくコメントだった。

講評会終了後の飲みの席で講評委員の先生方と話していて、『まちがいさがし展』は今回の提案とは別の視点からも掘り下げられるテーマと知る(「評価される」とまではいかない)。時代劇での史実と違うところをつっこむとか、歴史的裏付けや科学的裏付けでのまちがいさがしをする、というような。


(これらから考えたこととしての、提案の発展形)
ファンタジーならファンタジー。ファンタジーという言葉はどうもしっくりこないので「虚構」とする。
虚構で実現できる提案ならばと逆手に取り、完全な虚構として展開をする。虚構をテーマにする虚構として。

・お台場を舞台に繰り広げられるメタフィクションSF小説

今回の提案を行うにあたり少し調べたことに、お台場を舞台としたドラマやアニメーションがある。『踊る大捜査線』など。そこにあるTV局の放映する番組ということもあるのだが、お台場という場所は物語の舞台としてふさわしいのではないか。小説では、鈴木光司の『仄暗い水の底から』。その一篇では台場が出てきている。
小説という切り口になるのは、あまりアート・デザイン的にヴィジュアルヴィジュアルしたくないため。いつも思うことだけれど、私たちは文章で考えを伝える・伝えられることに不慣れではないか。デザイン提案を伝えるのは結局文章とことばだと思うので、そういう能力をつけるという意味でも必要なことかと思う。というのは今回、自班の映像中のキャプションが「まちがい」でなく「まちがえ」になっていることを指摘されたことにもよる。

というわけで「小説」としてみたわけなのだが、内容が問題である。
今回は対象とした館が科学系であることもあり、SFとする。

***
時にAD2100年
仮想世界と実世界の間の乖離をめぐり、壮大な相互補完プロジェクトが展開される。その中心地はお台場。
仮想世界に現れた歪みを探し修正していく作業の過程から、実世界に歪みが生じ、それらは実質的区別がなくなっていく。
実×仮想の混合空間は更なる歪みを生みだし、現実を侵食する。膨張していく歪み。
膨張した歪みは、偶然その場に居合わせた一人の男をその渦中へと巻き込む。巻き込まれた男はどうなったのか。

時にAD2008年
お台場に、一人の浮浪者が発見された。

***

……的なもの。本当に適当に思いつくまま走り書きといった感じなので、非常に荒削り提案。しかも館の話は直接的には関わってこない。内容如何によっては関わらせることは可能だろうが。

リサーチとして、先例となる小説の精読が必要。似たようなテーマのSFなどいくらでもありそうである。また、筒井康隆のメタフィクション作品は非常に参考になるところ。
また、お台場を舞台にした先例作品(小説に限らず)の鑑賞も必要だろう。

あと『O―diver』とか、思いつきでどうしようもなくさむい題をつけてみたり。なんというかもうほとんど個人的な趣味の領域に入ってきているのでこのあたりで。



(今回の反省点)
自班のプレゼンテーションはいかんせん不完全燃焼感が残る。テーマを完全にひとつに絞り込めば15分でもなんとかなったかもしれないが、今回はチーム全体としての提案ということを意識。結果としては15分に圧縮するのが難しい状況ではあったが、初の(他校を含む)グループワークの成果としては上々の提案が作れたのではないか。
ただしそれがうまく伝わったかと言えば、そうではない。まず自分が落ち着かなさすぎ。これは本当に問題。議論の時もこうだったのだろうかと思うと、班員の皆さんには申し訳ないとしか言いようがない。前段落までは結構肯定的に捉えてきたが、もしかしたら何も見えていないだけなのかもしれない。そういう視野の狭さがグループを最終的に悪い方向に持って行ってしまったのか。(公開しては読み直し文章を校正、としているうちに考えたこととして)

ただ、方法論としては独自性があったのではないか。企画展の提案をする、模型を作るなど、プレゼンをするということで言えば悪くはなかったと思う。実験精神。(結局は肯定する、という姿勢は改めるべきだろうかと文章を読み直し思う)

とにかく、今後に活かしていくべきはグループワークの感覚。一人でやるのとでは完成が全然違うという感覚、他者を知ることで改めて自分を知るという感覚。これはアート・デザインといったことでなくとも重要な感覚ではないか。(読み直してみると、単なる独りよがりのようにも思えてくるが……)

2008年6月19日木曜日

課題・ViZiMo(再)



前回のムービーはキャプションが小さく、また表示される時間も短かったため、改訂版をアップしました。内容自体はほぼ同じですが。
終わったからといって、改めるべき点を放置しておきたくなかったので。

2008年6月5日木曜日

課題・ViZiMo(3)

「pain-commu1」プレイ動画(下)。ゲームというよりはコミュニケーション空間の提案なので、どちらかというとストーリー仕立て。



キャラクターを囲う妙な箱によって、他者の姿が見え隠れしているこの空間。実はネットワークの世界そのものかもしれない。

課題・ViZiMo(2)

前回の「仮想世界の痛覚」を、多少アレンジして「pain-commu1」(ファイルは基本的にすべて半角英数にしているため、タイトルを日本語にできなかった)とした。

まずそれに至る経緯。
コメントや他の人の発表を聞きながら、前回浮上した問題点として、

・痛みをただ与える/与えられるだけで成立するか(単に人を殴っているだけと誤解を招かないか)
・痛みをどう表すか(血を思わせる表現に走るのは、安直かつViZiMoの世界観に合わないだろう)
・そもそも「痛み」のトランスレートというのはViZiMoの機能的にどうか

などが挙げられる。
しかし、前回のフィールド自体は中々抽象的で気に入っているので、似たような雰囲気のものを作ることとした。




また大きな変更点として、イベントの導入がある。これによって、点滅しているように見える壁面(次の記事に埋め込まれている動画参照)を作ることができた。どのようにしているかは、明日の発表などで詳しく話す機会があれば。

2008年5月23日金曜日

課題・ViZiMo

今回アップするのは、操作方法を覚える意味も込めた仮版。いずれはイベント発生などを用い、より理想に近づけていく見当。企画PDFはこちらから。テーマは「仮想世界の痛覚」、今回は下に説明も付記した。


ヴァーチャルリアリティの世界に肉体的「痛み」はない。それは「現実の感覚がなくなる」、「他人の痛みを理解できない」と、教育的側面で批判の対象となることがある。その論理が正しいか否かは別として、「他人の痛みを理解する」ということについて少し考えてみたい。
率直に言って、そんなことは不可能である。自分が自分である以上は、他人の知覚を経験することができようはずもない。
しかし、「自分が自分でなくなる」、あるいは「仮の自分という他人になる」という体験があれば、他人の痛みは多少なりは感じ取れるようになるのではないか。

そして考えてもらいたいのは「自分が他人になる」という体験は、ネットワーク上において顕著だということだ。

***
以上を基本的コンセプトとし、更にViZiMoの機能とを勘案して考えると、
1.人型のキャラクターを利用。それを肉体的に傷つかせる。
(物に傷つけられるのでも、別のキャラクターに傷つけられてもよい)
2.視点変更により、傷つけられる瞬間を仮想体験する。
(傷つける側と傷つけられる側の視点を体験。また一人称視点を利用して臨場感を出す)

といった方法での実現が可能ではないか。ユーザーの操作を離れてキャラクターが勝手に動いていくとよい(イベントの設定などで可能か?)。

問題として、キャラクターを肉体的に(というのも実際には妙な言い方であるが)傷つけるのは本来的な利用趣旨に反していないかということ。あるいは倫理的なコードに。
(ViZiMoでは「兵器」が素材に用意されているが、決して陰惨・グロテスクではないところが切り口になるか?)
また、あまりに直接的である。目新しさや、イメージを喚起させる、これを契機に深く考えさせるということはあまり望めないかもしれない。


理屈はこの程度にして、現時点でのスクリーンショットを以下に掲載しておく。

全景

ズーム

それぞれの視点

2008年5月9日金曜日

課題・提案PDF

↓Googleマップに欲しい機能の提案PDFファイル


「侵食地図」――それは地図上で拡大する。成長するかのように、あるいは侵食するかのように
「侵食地図」を開く

(制作:TS)

課題・ランチマップ



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↑Googleマップで表示

***

*コンセプト*

「どこにでもある」ファーストフード店の代表格と見られるマクドナルド。「どこにでもある」とは言っても、身の回りにどれだけあるだろうか。
またバーガー系ファーストフードと言えば、やはりモスバーガーの存在も忘れられない。そこで、両者の分布をマップ上に表したらどうなるだろうか。


*説明*

・首都大学東京・日野キャンパス付近にある両店舗をプロット。それらをシェイプでつなぎ合わせて「戦線」とする。言わば二つのチェーン店の勢力図を作った。
・日野キャンパス付近だけでは店舗が少なく、またシェイプも単純に過ぎた。そのため南大沢キャンパスとの間にまで範囲を拡大。二つのキャンパス間の直線的範囲で捉えるのではなく、電車での移動を考慮して店舗を探した。
・結果、マクドナルドの方が店舗数が多い。そのままではモスバーガー戦線の大部分を埋めてしまうため、東廻りと西廻りで戦線を形成。単に埋めるよりも、より「戦線」らしくモスバーガーを包囲した。
・戦線をクリックすると説明が出る。その説明をクリックするとホームページにアクセスでき、クーポンなどを利用できる。言わば補給基地。
・戦線同士が重なったところは「中立地帯」とした。マクドナルドでもなくモスバーガーでもなく、ということで佐世保バーガーの領域とした。他と同様に、佐世保バーガーホームページへのリンクもある。
 佐世保バーガーは「佐世保で50年愛され続けている、日本で最初に生まれたハンバーガー」とのこと。「佐世保」の名のとおり佐世保市を中心に展開しているが、東京にも数店あり密かに注目を集めている。
 中立地帯を採用すると、実際のところ佐世保バーガーの領域が一番目立つようになっている。漁夫の利。
・しかしながら、中立地帯をクリックしようとしても、他の戦線が表示されてしまう。そんな佐世保バーガー。

・ファーストフードなどの分布マップは実際に市販されており、あえてGoogleマップで制作する必要性はないかもしれない。しかし今回は首都大学東京の周辺に限定したことと、地図の見やすさはある程度無視してシェイプ(戦線)を作ることに意味があったかと思う。
 制作途上でシェイプが拡大していく、他のシェイプと重なり合うという感覚は、別課題での「侵食地図」に生かされている。


参考:
佐世保バーガーホームページ

↓中野の店舗が有名

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上記ホームページでの情報ですが、5月8日の27:10(9日3:10)、フジテレビ系列近未来予報ツギクルで特集されたそうです。

(制作:TS)